ミニチュアでか山の作りかた



でか山好きなら誰もが一度はチャレンジしたミニチュアでか山。お時間が あればちょっと試してみませんか?

人形作り

綺麗な模様の入った和紙などをつかって思い思いの人形を作ってみましょ う。ミニチュアでか山の最大の難関かもしれないですね。

飾りづくり

続いてはでか山の舞台を彩る飾りです。手の込んだものが要求されますが、出来るだけ気を張らずに楽しく作りましょう。

骨組み

骨組み作りもまた大変な作業です。飾りをつけてしまえば見えることがないので飾りつけを行う方はてきとーに作った方が無難かと思います ^-^;;
しかし、でか山大好き人間には喜びがありますね。こだわる方は頑固に丁寧につくりましょう。

飾りつけ

いよいよ最後の仕上です。幕をはり、丁寧にむしろをはって飾りつけが完了です。残りわずかの作業ですが、ここまでくると感無量ですね!

特別バージョン。飾りつけの様子です。内容は 2003 年府中町でか山の飾 りつけ「義経千本桜」です。いやはや、桜が映えますね。

彩祓(ザイ)の作りかた

彩祓(ザイ)は木遣の方々が用いる祭具の一つです。お祭りでもっと目立ちたい方。いつもお祭り気分を味わいたい方。作り方を簡単ですが写真を交えて紹介していますので作ってみましょう。

彩祓の先につける紙飾りをつくります。均等に短冊状に作るため、写真のような木枠を使うと間単にできます。一般家庭には無いと思うので、上手く均等に作れるように定規であらかじめ切る場所に印をつけておきましょう。

色紙は赤、黄、緑、白、紫の順で重ね、上部を糊付けしてあります。この色紙はあとで竹に巻き付けるので糊付けはべたっと付けるのではなく、巻き付け易いように間隔を空けて糊付けすると良いようです。

上部を少し残し、カッターで切れ目を入れていきます。一度に 6 枚を切るのは難しいので一枚一枚丁寧に切りましょう。ここで綺麗に短冊状にしておかないと、仕上がりが汚くなります。

紙飾り完成です。さすがに作って頂いたので(^-^;;)綺麗に出来てますね。糊などでシワになっているとかなりブルーです。

切った短冊を広げるとこんな感じになります。色は赤が上になります。折り目、シワがつかないように丁寧に扱いましょう。

こうして出来た色紙の束を六枚用意しましょう。竹につけるのに裏側には両面テープを切れ込みの入っていない上部に貼っておきます。

できた色紙を竹に巻き付けていきます。仕上がりを良くするためにはしっかりとキツク巻き付けていきましょう。ボコボコしていたり、ゆがんでいたりすると見栄えがわるくなります。

巻き上がったらバラバラにならないようにクギで止めます。まずは穴あけ。

つぎに、クギ打ち。これで振り回しても色紙がバラバラと壊れることはありません。これで半分ぐらいの作業完了です。

カッコよく飾りつけを行います。わかりにくいですが、色紙上部に巻き付ける厚紙、色紙上部を飾りつけする赤い光沢色紙、柄(竹)の部分を飾る光沢色紙と赤い帯状色紙。色紙と柄の境、柄の終端を彩る緑色の光沢色紙を準備します。

まずは白い厚紙を巻き、先程釘打した色紙上部を補強します。どの作業でも同じですが、飾りつけは特に綺麗に行いましょう。

厚紙を巻いた上に赤の光沢色紙で飾りつけします。これで先端部の飾りは完了です。

色紙上部の飾りつけを完了したところの拡大です。柄のところまで光沢色紙を巻き付け、見栄えの悪いところは隠してしまいます。

柄に飾り紙を巻き付けます。作業に熱中して途中の写真を忘れてしまい分りにくいかもしれませんが、勘弁してください(^-^::)竹が見えなくなるように飾り紙を巻き付けると考えてください。

柄の部分をさらに飾るため、赤い帯を巻き付けていきます。できるだけ等間隔になるように巻き付けましょう。

柄の上部、下部に緑色の飾り紙を貼りつけます。この作業で結構シワが出来ました。くれぐれも慎重に。

後は色紙の付け根にでか山のマークの飾りをつけて完成です。府中町は「ともえ」です。結構長かったですね。ご苦労さまでした。

持ち運びをする時には先がバラけないように包装紙などで包んでおくと邪魔にならいので良いです。

なぜでか山は今の形になったのか。

大地主神社青柏祭曳山之事
曳山負担町三箇町アリ鍛冶府中魚ナリ是山王廿一社ヲ表シ配スルニ鍛冶町上七社府中町中七社魚町下七社ヲ以テス形状山王ノ山字ヲ取テ構造ノ起因ナリト云フ中位ニ天守閣ヲ基礎トシ加フルニ忠孝節義ノ影跡ヲ作リ毎年変更附飾ヲナス也

内容 間違ってたらごめんなさい

大地主神社の青柏祭の曳山について
曳山の運行負担を行う町が3町あります。鍛冶町、府中町、魚町です。鍛冶町は山王21社の上(かみ)の7社、府中町は中(なか)の7社、魚町は下(しも)の7社を管理しています。曳山(でか山)の形は山王の「山」の字をまねて造ったと言われています。中程には天守閣が配置されていて、忠孝節義を表し、毎年変更され、飾りつけられます。

3匹の猿神としゅけんの話(3つの山車のいわれ)

 昔、七尾は貧しい村で、村人は5月のお祭りだけが楽しみだったそうです。村の祭りが近づき村がにぎわい始めた頃、久平の家だけは悲しみにくれていたのでした。それは、村の祭りに神様へのいけにえとして娘を出さなければならなかったからでした。「神様が娘をいけにえとして捕るということは考えられない。神様にお願いしてみよう。」その日から、毎日、神社へお参りに行きました。

何日も通っていたある夜、宮からこんな声が聞こえてきました。「人間の馬鹿者のおかげで、今年も若い娘が食えるわい。でも、越後のしゅけんに見つからないだろうな。いくら俺でもしゅけんにはかなわないだろうからな。」久平はこの声を聞いてすぐにしゅけんを探すために越後に向かいました。しかし、いくら探してもしゅけんは見つかりません。そして明日がもうお祭りという日、もうくたびれ果てた久平は最後の声を振りし
ぼり「しゅけん様、しゅけん様、たのむから出てきておらの娘を助けてくれ。」と叫んだときでした。

「だれだ今、俺の名前を呼んだのは?」
とそこに大きな真っ白な体をしたしゅけんが現れたのでした。久平は七尾での話をしたところ、しゅけんは「そうか、猿神め、能登に隠れておったか。むかし大陸から3匹の猿神が日本にやってきた。少しばかりの力(神通力)を持っていた猿神達は悪事を重ねたので、2匹は俺がやっつけた。しかし、もう1匹がどうしても見つからなかった。わかった。久平、今から俺をそこへ案内せい。」と話したのですが、久平は泣きながら、「しかし、祭りは明日、ここから能登まで行くには何日もかかります。」「心配するな。」と答えた瞬間しゅけんは久平を抱え、風のような速さで七尾まで飛んでいったのでした。

七尾に着くとしゅけんは、娘の衣装を着て、長持の中に入り、猿神が現れるのを待っていたのでした。辺りが静まりかえった頃、猿神は長持の前にやってきました。「ふっふっふっ。馬鹿な人間どもよ。今年も若い娘を食えるのか。楽しみよのー。」と話すやいなや、長持のふたがパッと開き、中からしゅけんが現れたのでした。「猿神よ。やっと見つけたぞ。」「おっ、おまえはしゅけん。ちくしょう。よくも俺がここにいることがわかったな。こうなったらおまえを殺すしか俺の生きる道はなさそうだ。勝負だ。」

すぐに戦いが始まりました。その戦いは、辺りの木をなぎ倒し、稲妻を呼び、暴風を起こしました。どれくらいの間、そのすさまじい戦いは続いたことでしょうか。その嵐も静まり、朝になって、村人達はその様子を見に行きました。すると、そこには大きな猿とオオカミが横たわって死んでいました。しゅけんの正体はオオカミだったのでした。村人達はオオカミに感謝するとともに、3匹の猿のたたりをおそれ、三台の山車を神社に奉納することとなったそうです。